青春のつづき

チョロオタの独り言

だいぶ遅い回顧録

あっという間にこの日が来た。遠い先のことのようで、どうしても駄々をこねたくて。

わかっている、彼らが何か変わるわけでもない、そこに5人でいてくれることも十分にわかっている。

だけど、20年ずっとどんな時も守り続けてくれた「関ジャニ∞」というものを手放さないといけなくなったことが寂しくて、悔しくて、ただたくさんのうちの一人のファンなのに。

私たちファンにだってそう思わせてくれるくらい、大きなものだったんだと思う。

 

私の中高の生活にはエイトがいつもそこにいたし

離れていたあのころもそこにエイトはあったし

何回もみんながいなくなった時もエイトはそこにいた

いろんなことがあった数年後のコンサートで「関ジャニ∞でよかった」と言われた時どんだけ嬉しかっただろうか

 

私の友達が内くんを好きだったところから私のジャニオタ人生が始まった

狭い世界で同担拒否ばかりを生み出すという恐ろしい環境で育ったオタクは晴れて、箱推しとなり、

グループというものに固執するオタクとなった

 

 

初めて行った代々木体育館の記憶なんて正直ほぼないわけだけど、それでも好きな人たちを始めて生で会えることの嬉しさは今でも覚えている。

47ではチケットが片方しか入れなかった友人、両方入れる私たちでなんとも言えない空気感も覚えている

そしてまさかの友人が入れない公演で友人の好きなメンバーはソロ曲を歌い、さらに不穏な空気が流れた

隣で友達が横山さんに手を伸ばしてもらって、ほらほらと構われ最終的に手が届かずあの無邪気な顔した横山さんは忘れられない

一生1000人ホールの最前なんて入れないだろうな

錦戸さんの投げた花を取ろうとして後ろの人の手が伸びてきて爪が折れかかって死ぬほど痛かったのも覚えてる。

親という最大の味方をつけて、謎に東京ではなく長野のビックハットに行き続けたな

なけなしのお小遣いからの会費が辛くて、受験で一回抜けたFC、YOU&Jでしたね

少しずつ私の生活からエイトが少なくなっていった

雑誌を買うのをやめ、シングルを1枚だけ、アルバムだけ、円盤だけみたく

それでもわたしの生活の片隅にも、私の家族の片隅にもいつも関ジャニがあった

8ESTは味スタの音が漏れますのチラシを自宅に配布され、あそこにエイトがいるんだと思っていた。行きたいなとふと思った。

別の場所で知り合った友人が関ジャニを好きだと知り、一緒に連れて行ってもらったJUKE BOX

そこからまた1年に1回くらいコンサートに行くようになった

やっぱりいつ行っても関ジャニのコンサートは楽しかった

社会人になり、少し余裕ができた私はここで始めて関ジャニ∞のファンクラブに入る

それから二年後

すばるくんがグループを抜けるなんて誰が想像したんだろうか

ここで私はエイトから離れていた時間を初めて後悔した

わかっていたはずなのに、どこだって、当たり前なんてないんだと気づいた瞬間だったのかもしれない

十五祭で一年間書き続けていた週刊誌に「ざまあみろ!!!!!!!!!」と叫んだ二日後に亮ちゃんが抜けた

だけど、この一年間をみていたらもうなんか何も言えなかった、ただ寂しいだけだった

グループを残してくれた5人のことも信じたいのに、いろんなことが不安で不安で仕方なくなった

この人たちは優しいから止まることができないのかもしれないと勝手に思った

だけど私も離れることもできないわけで、大好きで、どんな時もすぐそこにいてくれたから、もう関ジャニのない生活もわからなくなってしまった

すばるくんが音楽の世界に戻ってきてライブに行って、りょうちゃんもライブ映像もみてようやく別になったのだと実感した

それから7人を同じように応援出来なくなったことが自分の中で本当に辛くて長年の曖昧な箱推しという自分の土台が崩れていくようだった

みんなが幸せになって欲しくて、みんなを応援していることは絶対に嘘ひとつないのに

5人も、すばるくんも、亮ちゃんも、内くんも

世の中でコロナが蔓延し、走り続けていた関ジャニも47半ばで止まらざるを得なくなった

そこからあんまり覚えてないけど、多分一番私が現実から逃げていた頃なんだと思う

2年が経とうとする頃に8BEATとともに関ジャニに再会する

「俺たちは関ジャニ∞でよかった」そう叫んでいた

こんなにいろんなことがあったのに、彼らはここでグループでよかったと言ってくれたんだ

わたしは全部今までのことも含めて関ジャニと共にこの先の未来も見ていきたいと思った

ここでようやく長かった曖昧な日々が晴れた気がしたし、8人を、7人を、6人を恋しく思っていても、5人の関ジャニを好きだといろんな難しいことを考えなくて良くなった

どんな時だって前に立って待っていてくれたのも、手を差し伸べてくれたのも関ジャニだった

 

 

 

そして今二十周年を迎える

関ジャニ∞としてではなくて、SUPER EIGHTとして

 

 

私はわがままなのでいまだにやっぱり寂しい悔しいは当分なくならないだろう

だけど、それはきっとこのSUPER EIGHTで進んでいくと決めた彼らも同じだと知っているから

 

 

強くなったからSUPERをつけよう

だからこの名前には今までの年月があってこその名前なんだなとみんなが話しているのをみていて思えたから

 

 

法被は来てないけど

のぼりもないけど

ここからまた新たな景色に向かって

 

 

ばいばい関ジャニ∞

よろしくね、SUPER EIGHT

 

話し合いの出来ない人間

話すのは大事だよ

嫌だと思うけどねと先輩は笑って言った

 

そうなんだろうなと思った

話し合わなきゃきっとどちらかが「ただ」我慢してるか、諦めてるからな

だけどそれでも私は話し合うくらいなら全部に目をつぶってそのままが一番だと思う

結構真剣に思っている

ただ厄介なのはまったく意見がないわけでも、それを全部目を潰れるほど出来てないというわけだ

 

 

話し合いからずっと目を背けたわたしは瞬時に話し合わないと行けない場に立った時

明らかに言わなくていい表現をする

自分が上手く伝えられないだけなのに、それに苛立ち、伝わらないと勘違いする

勘違いすれば厄介なことに「聞いて貰えない」となっていってしまう

頭では考えているはずなのに、後から思えばそんなこと言いたかった訳じゃないのになとなる

伝えたいことを表現する方法なんて他にいっぱいあったのに

よりにもよってしなくていいような表現でしてしまう

 

大人になって、それが相手と引きずるとかはないし、普通なんだけど

普通なのはお互い意識してるのか、本当にそれはそれ、これはこれなんだろうか?

現にわたしはずっと先週からそんなことばかりを考えている

これも一種の関係への固執なんだろうか?

 

 

言い方が間違えていた

建設的な話し合いをするべきだった

と、頭にずっと浮かぶこの言葉を伝えたいのに

じゃあ大人として次の日から普通に過ごしてきたわたしたちは

それを掘り返すメリットってあるんだろうか

わたしがただ安心したいだけ、わたしがただ納得したいだけなんじゃないか

だって言いたかった根本はなにも私は変わってなくて、正直間違ってたとも思ってなくて

ただその伝える方法を間違えたと伝えることの意味はあるんだろうか

 

 

寂しかっただけなんだよな、きっと

それもわかってる

 

8月がはじまる

 

6月末で新卒から働いていた職場を退職した。

人生の夏休みという名のいい、1ヶ月なにもせずに過ごしていたが

8月から新生活がスタートする。

 

去年転職をしますと決めたときには

「まだ一年もあるのかあ・・・」

とか思っていたのに、気づいたらあっという間に1年過ぎていった。

自分で辞めると決めたんだから、私が寂しいと言うのは違うよな~と

思いながらも、なんとも言えない気持ちのまま時間はすぎて

 

退職の日に寄せ書きをもらったんだけど、

異動して今は違う所にいる先輩や後輩、お世話になった他部署の人まで

想像の倍の人からメッセージをもらってしまって

なんかそこで始めて、働いていて少しは役にたっていたんだ~って実感できたんだよね

本当にあほみたいなはなしなんだけど(笑)

そりゃ、辞めるって言ったら寂しいとか困ると言ってくれるけど

多少年数が経ったから仕事は多少出来るかもだけど・・・くらいに思っていて

そう思って予防線を張っているんですけど・・・(笑)

 

だけどなんかたくさんの人がこうしてメッセージをくれて

自分の価値が始めて可視化されたんだろうね

いつもみんな優しいから言ってくれてたはずなんだけどね。

嬉しかったし、人生でこんなに満たされることってないんだろうなって思った

でも、そこで終わらないのがわたしで・・・

「結局はここまで言ってもらわないと私は満足できないんだ・・・」って

自分にがっかりしてしまったのも本音で。結局かまってちゃん・・・

辞めて始めて自分の価値を感じられるじゃないけど

 

 

まあなんかそんなこう私的にはでっかい感情を処理するのに時間がかかり

1週間くらいはボケボケして過ごしてました

7月は1ヶ月実家に戻ってのんびりすごしてました

おばあちゃんと買い物に行ったり、おばあちゃんや母の送り迎えしたり

片付けしようと意気込んでましたが、何も出来ませんでした(笑)

母の仕事も手伝おうと思いましたが、2回しか出来ませんでした(笑)

本は結局2冊しか読みませんでした・・・

でも、行ったことなかったお店で野菜や桃を買いに行ってみたり

久しぶりの人に連絡とって会ってみたり

ピクミンの体験版もやりました。4をやるか悩んでます

 

 

そんな感じであっという間に1ヶ月

働きたくなくても、生きていくために、オタクをするためには

働かないといけません。働きます。

わたしも新章開幕です。

 

新しい職場の人はみんな知っている人なのでまるっきり環境が

変わるわけではないんですけど、今までとテリトリーが変わります

閉鎖されていた病院から地域へ

知らない世界はいつも怖いな、生活が変わるのも怖いな

ゼロから転職している人たち本当にすごいよ・・・ほんと・・・

誘ってもらわなかったらきっと私は新しいスタートを切ることもなかった

そう考えるとせっかく与えられた機会を楽しまないとね!人生一度きり!

30歳からこの先なにをしていきたいのか見つけられるといいな!

 

 

ちゃんと好きな人たちからもらったパワーを胸に

新生活がんばるぞ~~

 

まずは夜勤のない生活と

月金で朝起きる生活に一刻も早くなれるように願っています。

 

メタモルフォーゼの映画を2回観た話

好きなものというものはいつも大切なものをくれる

幸せな時間も気持ちもそして友人を

 

メタモルフォーゼの縁側を観に行った

元々漫画が好きだったので映画になると聞きとても楽しみにしていた

 

 

うららが箱から取り出して漫画を読む姿も

ファミレスで周りの目を気にする姿も

本をすごい勢いでとって抱える姿も

それでもやっぱり好きなものを話せる楽しさを感じる姿も

全部全部見覚えのある光景だった

 

私も確かにあのころ好きだった場所も人も隠していた

長かったこともあってうららほど家族にまで隠したりはしていなかったけど

大学に通っている時周りの人にバレないように大切に閉まっていた

 

うららが隠している割に絵を描いているのをみて

隠したいんだがなんだか、、、と感じるけど

好きなんてそんなものだと思う

隠していたい、でも自分の生活においておきたいのも本当の気持ちで。

 

うららが橋本さんに対して「ずるい」と感じる場面が個人的には好きで

うららから見た橋本さんはみんなの人気者で、彼氏がいて、頭も良くて

うららがこっそりとしか楽しめなかった大好きなものをいとも容易く受け入れられてしまった

そりゃ自分が必死に隠しているものを受け入れられてしまったらずるいと思うよな

うららが否定されたことがあるかはわからないけどやはり自分の好きなものを「バレていけないもの」と感じるのは辛い

それを簡単に受け入れられていたら私もきっとずるいと感じるだろう

実際、紡は別にBLが好きうららを決して否定はしなかった

それでもやっぱり他人は輝いてみえるし、ずるいと思ってしまう

「留学とか、BLとか色々凄いね」という皮肉めいた事を伝えることしか出来ないのも

余計に惨めな気持ちになるんだろうな

 

 

好きなものを話せる相手がいるのは幸せな事だと思う

私は昔からTwitterでひとりで話せれば割と満足できるけど

それでもやっぱり同じものを好きな人と、同じように好きを話せるのが

どれだけ幸せなんだろうと思うし、共有出来るってやっぱりいい

うららだって一人でBLを楽しんでいることで満足していたはずだけど

雪さんと出会うことできっと人と共有出来ることの嬉しさを知っただろうな

それがきっとたくさんの勇気にもつながったし、うららのパワーになったんだと思う

やはり「好き」はいろんなものや人と出会わせてくれる

 

 

コミティアから逃げたうららが「悔しかった」と言ったのにはどんな悔しさがあったのだろうと考えている

その場から逃げたことなのか?

最後までやりとげられなかったことなのか・・・?

それでも帰ったあとの雪さんの言葉はとても強かったし、優しかったし、大きかった

うららにとってあの漫画を描いて、売るというのはどんな経験になったのだろう

 

雪さんの言葉と言えば、一番私が印象に残っているのはサイン会で

「この漫画のおかげで私たちお友達になれたんです。描いてくださってありがとうございました。」

って言葉なんですけど。

本当に好きなものに対して、これにつきるなってとても思うんです。

私はいままでにたくさんのものを好きになって、たくさんの素敵なお友達と知り合うことが出来た。

多分普通に生活していたら、絶対に知り合うことがないだろうなって。

場所も、年齢も、性別もなにも関係ない。

 

最初に書いたあの頃私が好きだった場所は7年前になくなってしまった

どうしたってそこで繋がっている関係というものは前と同じとはいかないけど

それでも今でも連絡を取ったり、たまに会ったり

なによりも会ったときにあの頃と同じようにすぐに戻れるんだから

やっぱり私にとって「好き」は人生を素敵なものに変えてくれるものだのだと思う

うららは雪さんと出会って、きっとかけがえのない時間も存在もみつけられたんじゃいのかな。

私はうららでもないし、想像しか出来ないけど。

 

好きなものができるっていいな

好きなものを通して人と出会うっていいな

好きなものに出会って、人と出会って、私も人生を素敵なものに変えていきたいなと思った。

 

 

でも何よりもあの数年間のことを一番に思い出して

甘酸っぱい気持ちになったな~~~~~!

楽しかったし、一生懸命に好きを追っていた日々は多分離れたとしても一生の私の宝物らしい。

私の好きは、今だろうと、昔だろうと、ずっと大事な宝物。

うららの漫画が机の下の段ボールから出てくることはないかもしれないけど

それでもきっとBLも雪さんとすごした時間も一生の宝物だろう。

 

 

どうでもいい私の近況

 

全然ブログを書けてないなと思いはてなブログを開いた

8BEATの下書きがあったり、書き途中のものが多い

私の頭みたいにとっちらかってるな~と思いながら眺めていた

 

 

この間Twitterで少し話したけど

仕事を辞めることに決めた

 

まあ正確に言えば、新卒で入った職場を辞めることに決めたというだけです

しかも、来年度の6月なんでまだあと1年以上あるんですけど(笑)

それでも私にとって一大イベントだった・・・

世の中早いもので、現時点で来年度まで意向調査されるんですよね

まあ、採用に関係してくるからなんでしょうけど

 

今の職場は新卒で入職した職場だ

結局私は辞めるまで異動もしないまま同じ所にいたんですけど

この7月を超えたら私の大好きな先輩がここにいた年数すら超えてしまう怖い

新しい環境がとにかく苦手なものでバイトですら辞めると言いながら

4年間続ける女、もちろん「仕事やめたい~」と言いながら

仕事を辞めることは一度も考えたことがなかった

いや、今回初めて気づいた。

私、今まで真剣に仕事を辞めようって思ったことなかったんだなって。

だって自分が希望して入って、自分が希望した配属になって

残業もそんなにないし、仕事も自分の生活もそこそこいい感じだった

 

 

辞めようって思ったことがないけど、漠然と辞めて~と言い始めたのは

3,4年目だったなあと思う

3年目で新人指導の担当になって、そもそも指導が苦手な上に

先輩との兼ね合いでいやになった

そのときの私の逃げ道は「いつでも辞められる」って思うことだった

不思議といつでも辞められるって思ったら楽になった

だから「辞めよう」って思ったことはなかった

私には「辞められる」という心の余裕だけで十分だった

4年目くらいから、なんとなくでする仕事も増えた気がする

人と話をするときっと「慣れ」だと言われるんですけど

1,2年目の私はちゃんと真剣に人と向き合えていたって思うし

それが正解、不正解は別だけどあの時の感覚が忘れられない

思い出が美化されているだけなんだろうか?とも思うんだけど

同じ所にいればいるだけ、なんとなくで過ごせるようになる

そういうことなんだろうな・・・とも思う

 

あと自分のことだけじゃなく、1,2年でなんだかなあと思うことが増えてしまった

それも慣れといってしまえばそうなんだろうけど・・・

文句が増えた、そして納得いけないことも増えた、だからまた文句が増える

異動もしたくないけど、薄々気づいていた

このままここにいたら私は本当にいやな人間になるんだろうなって

いるじゃないですか。いやなお局。小姑みたいな人間になる・・・って(笑)

まあ、職場内での異動に関しては決定権ないので、近いうちだったんだろうけど

 

そんなことでそんなまま働いていたら3月で事切れた(笑)

なんかもう無理~~~って言いながら3月が始まった

自分が好きだった場所が全然大切にされていない感じなのもいやだったし

マジで何考えているんだろ、みたいな事が続きすぎた

 

それでも私はチキンなので、仕事をそのまま続けるつもりだった

結局は人からの助けで生きているんだなと思う

自分一人じゃなんにも決められない

 

たまたま仕事の話をもらった、というのが大きかった

きっかけがなければ何も出来ない私だから

今回のチャンスを逃したら言葉通りこのままずっとここにいるんだろうなと思った

こんなに文句しか言えないのに、えらくもなりたくないのに

という感じで私は仕事を辞めようと決めたわけだ

 

 

福利厚生はよい、生活に困ることはない、住む所だってあるし

異動するまでは残業もほぼないし、休みも取れる

どこに行ったっていやなことはあるし、納得できない事だってある

今私はホワイトな中で生きているんだろうなとも思う

 

それでも一旦ここから出ようと思った

このままここが嫌いになりきる前に辞めたい

話をもらえる人間である間に、チャンスを逃さずに新しい道に進んでみよう

 

 

そんな感じでま~~~~久しぶりにめちゃくちゃな気持ちで春を迎えた

春はいつだって気分が安定しないけど、この感じは久しぶりだったな

 

 

来年の私はなにをしているんだろう

正直美化された過去に縛られているのは間違いないので

仕事を辞めた後にちゃんと私はその自分にまた近づけるのか不安で仕方ない

だって、いいわけがなくなってしまうのだから

まあでも、今のところ仕事辞めたら金髪に1回しておこうかななんてそんなもん

あと1年で私はなにを返せるのだろう、と思いながらちゃんと働こう

 

 

ところで気づいたら一人暮らし7年目ですが

今までまともに家探しをしたことないことを気づいたので

ぜひ皆さん、アドバイスをよろしくお願いします

忘れてた何かが溢れ出した

 

待ちに待った関ジャニ∞のコンサートが始まった

8BEATが始まってありがたいことに楽しい時間を過ごさせてもらっている

1回もいけないんじゃないかって思っていたから本当に嬉しいな

コンサートの事は全部終わってから書こうって思って

多分書くとしたら一番はじめのコンサートに入った時なんだろうなと

いつも思う。だってやっぱり一番始めに感じたことはもう二度と感じる事はないから

だから、そこから次に行くまでにかけなければ、次は終わってから

全部の感情をひっくるめて・・・と決めていたんだけど

 

 

12月24日のクリスマスイブ、幕張メッセで8BEATに参加した

年内最後の関ジャニ∞としてのコンサート

コンサートはやっぱりいつも通りかっこよくて、楽しくて、しあわせで

クリスマスプレゼントの曲までもらっちゃって最高のクリスマスだな~なんて

 

そんなことを考えながら過ぎていって、終盤の挨拶

いつだって関ジャニ∞の言葉を通して毎回毎回数年のことを思い出して

今回のアリーナツアーにすると決めた彼らのことを勝手に考え

それでもみんなの言葉の端々から今関ジャニ∞でいて幸せなんだと

いうことを知ることが出来て本当にありがたいなと思う

教えてくれなければ私たちは知らないから、わからないから

関ジャニ∞に「残った」ことなのかは置いておいて

関ジャニ∞として過ごしている「今」が幸せであれば

私はそれでいいやって、「それぞれ」がその場が幸せであれば

それが一番なんだよ

残った、出たということよりもうここまで来てしまったら

それぞれ全員がした選択が今、現時点でよかったと思えるのであればさ

安田さんが言うとおり、幸せは噛みしめて、言葉にしたくなくなるのかもしれない

それでも今の幸せを伝えてくれることはありがたい事なんだろうな

 

 

そんなことを考えながらも24日みんなの挨拶が終わって

キミトミタイセカイを聞いていたらなんだかすごく

胸がいっぱいになって、自分でもびっくりしたんですよね

 

村上さんがいちばんはじめに挨拶をして

「アルバムも出せるかわからない状態で始まってなんとか出せて」

って話をしていて、年明けにアルバムを出します!!という彼らを見て

すごい喜んだのを思い出した、

だけどまさか確定じゃないなんて思ってなかったからいつなんだろうと思って

秋になる頃、今年も夏は一緒に過ごせなかったな~なんて思っていた自分も思い出した

 

「無事に年内の日程を終えられようとしている」そんな言葉もあって

思い出したんだよね

 

ああ、わたし今年関ジャニ∞と一緒に過ごせるって思ってなかったんだって

そう思ったら今こうして2021年のコンサートを終える関ジャニ∞を観ていたら

本当に2021年に関ジャニ∞のコンサートにこれて、彼らの作る時間をすごせて

すごくすごく嬉しくなって思って胸がいっぱいになった

 

関ジャムフェスに行ってようやく走り出したと思った私の時間が

8BEATのアルバムを手にして、コンサートに行って

本当にすっきりしてるんだよね、今

だけどとにかく5人の姿をいっぱい観たかったし、思ってたよりも

結構必死にコンサートをたのしんでいたのかなって(笑)

1年終わるねって言われて、ようやく自分が押し込めていた気持ちを思いだした

 

 

一緒にすごせないと思っていた2021年

会える時間をくれてありがとう

あなたたちが目指していたドームのあの景色はかけがえのないものだけれども

横山さんが言うように、全然負けてないし、かっこよかった

私にとって2021年を過ごせたアリーナのあの景色はきっとかけがえのないものです

 

 

最高で、最強だった!

来年も最高で、最強であれ!

 


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箱にしまう前の整理

現場でも推しのことでもないことを書くのもなって思うけど

別にブログって何書いてもよかったんだよなって思って

ようやく一旦放出したのでちゃんと一回書き出して区切りをなって

全然まとまらない、明るくない話なので!でも想像よりはもう元気です!

タダの頭の整理です。

 

 

ドリボの千秋楽前日、夜勤明けだったんですよ

次の日の千秋楽とファンミに備えて謎の休みも取って

でもそんな日に仕事で結構なことがあって、割とこころ死んで

あー、なんか麻痺しているけど、私ってこういう所で働いてたな

こういうことがまたいつ起こってもおかしくない所にいたんだなって

端的に言えば後輩は怪我をして、私も怪我をしかけたらしい

らしいって言うのは正直記憶がぶっ飛んでて覚えていないなくて

後輩が心配して伝えてくれたらしい

人生で初めてCTなんて入った、検査費用の高さにドン引き・・・

ドリボならS席とA席1回ずつ入れるな・・・ってすぐ計算する頭、万歳

 

まあ、私超テンパり野郎なんですけど、最近マシになってたんですよね

でも、やっぱり元々すぐにテンパりやすい性格が治っている訳でもなく

年数かけて仕事はパターンを重ねて、テンパらずになっていただけな訳で

すっごい、テンパっていたんだろうな、そのあと残りの時間の動きを考えたらそう思う

それでもテンパっていた私には、心配する人の顔が一番きつかった

私をそんなに「やばそう」なやつみたいな顔でみないで、大丈夫なんだから

私に「やばい」ってことを認識させないでほしかった

 

 

私が対応した、そのあと後輩が対応をした、怪我をした

 

それだけが私の頭にめちゃくちゃ刻み込まれてしまって

「おまえのせいだぞ」って聞こえた気がした、空耳なのかもしれんけど

上司に話したとき「本当にそんなこと言ってた?違うと思うけどな」って言われた

そう言われると確かに言ってないのかも知れない、幻聴か?

「出来ることしたでしょ、別に悪くない」そう言われた、そうなのだろうか。

シフト制なので、翌週まで後輩と会わなかったんだけど

正直後輩に直接会うまでまじで毎日生きた心地しなかった、気づいたら1週間すぎた

 

不幸中の幸いで、私は大きな怪我なく、変なとこの痣と筋肉痛のみ

でも人間の身体は治癒していくので、痛みが消えていくごとに記憶から出来事が

消えていく気がした、それがまた許せなかった

私があのとき別の対応をしていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない

「かも」なんですけど、多分客観的に考えたらほぼ「かも」に近いんだろうな

ただ、結果的にそのあとに後輩が怪我をしてた

ずっと前に話していたように、多分私は自分が何かって事に対しては

「仕事だから」って割り切ってて、てか、割り切らないとやってられないし

それで自分が保てているって思ってないと怖かった、ダメになりたくなかったから

だけど、今回は自分のせいで人が傷ついて、これは結構ダメージが強い

自分が強かろうが、頑張ろうが、どうにもならんことなわけで

 

 

みんなは心配をしてくれるけれどバカ正直に話せない

だって「別にあなたのせいじゃない」「対応の問題じゃない」って

言ってくれるんだろうって思うし、多少なり関係あってもだからどうこうのレベルの話ではないのはわかっているから

だけど、私は「なにか違うことができたかもしれない」「そうしたら後輩は怪我をしなかったかもしれない」

という考えは捨てきれないし、話して「あなたのせいじゃないよ」って言われればいわれるほど

自分の弱さを認めないといけない気がしていた

言い方が悪く言えば

何を言われたって多分納得は出来なくて、結局私はそれでも自分を許せないし、

それでも「あなたのせいじゃない」って言われて安心したいだけのやつ

そんな筋書きが出来てるんだよなって思ってしまう

だから、そんな筋書き通りってなるんなら今は話さない方が自分を保てるって思うけど

多分その仕舞い方はいずれほころびが出てくるのを知っているし、そうなったときはきっと

今よりももっとダルいことになるんだよな・・・って

すべてもう一人の自分が冷静に考えていて、随分頭でっかちになったなと思った

 

ようやく時間がたって、書いたようなことを人に話せて一旦距離を置けそうだ

だけど、こうやって文字に書き起こすのは私はこれを反芻し続けないといけないから

あほみたいって思われるかも知れないけどやっぱり考えるのをやめちゃいけなくて

考え続けなきゃいられない、そうじゃない自分が許せないので

 

それでも頭から映像が少しずつ薄れていっただけ大分違う

冷静に反芻し続けないといけない

そうしないといられないんだから、もうちょっとまともな自分の守り方を身につけたいものだなあ

 

 

とまあ、29日のファンミは正直こんなことをずっと頭で再生しつづけてる中観たので

好きな人たちに文字通り、本当に生かされるなって心から思いながら観ていた

好きがあるは強い、好きな人がものがあるから、そんな自分だけは好きでいられるし

明日からも頑張って生きようって思っていられるんだよなって思う

人にすがって生きていくのは良くないことかもしれないけど

いつか一人で歩けるようになるまでは、自分の好きは大事にしたいよね