青春のつづき

チョロオタの独り言

メタモルフォーゼの映画を2回観た話

好きなものというものはいつも大切なものをくれる

幸せな時間も気持ちもそして友人を

 

メタモルフォーゼの縁側を観に行った

元々漫画が好きだったので映画になると聞きとても楽しみにしていた

 

 

うららが箱から取り出して漫画を読む姿も

ファミレスで周りの目を気にする姿も

本をすごい勢いでとって抱える姿も

それでもやっぱり好きなものを話せる楽しさを感じる姿も

全部全部見覚えのある光景だった

 

私も確かにあのころ好きだった場所も人も隠していた

長かったこともあってうららほど家族にまで隠したりはしていなかったけど

大学に通っている時周りの人にバレないように大切に閉まっていた

 

うららが隠している割に絵を描いているのをみて

隠したいんだがなんだか、、、と感じるけど

好きなんてそんなものだと思う

隠していたい、でも自分の生活においておきたいのも本当の気持ちで。

 

うららが橋本さんに対して「ずるい」と感じる場面が個人的には好きで

うららから見た橋本さんはみんなの人気者で、彼氏がいて、頭も良くて

うららがこっそりとしか楽しめなかった大好きなものをいとも容易く受け入れられてしまった

そりゃ自分が必死に隠しているものを受け入れられてしまったらずるいと思うよな

うららが否定されたことがあるかはわからないけどやはり自分の好きなものを「バレていけないもの」と感じるのは辛い

それを簡単に受け入れられていたら私もきっとずるいと感じるだろう

実際、紡は別にBLが好きうららを決して否定はしなかった

それでもやっぱり他人は輝いてみえるし、ずるいと思ってしまう

「留学とか、BLとか色々凄いね」という皮肉めいた事を伝えることしか出来ないのも

余計に惨めな気持ちになるんだろうな

 

 

好きなものを話せる相手がいるのは幸せな事だと思う

私は昔からTwitterでひとりで話せれば割と満足できるけど

それでもやっぱり同じものを好きな人と、同じように好きを話せるのが

どれだけ幸せなんだろうと思うし、共有出来るってやっぱりいい

うららだって一人でBLを楽しんでいることで満足していたはずだけど

雪さんと出会うことできっと人と共有出来ることの嬉しさを知っただろうな

それがきっとたくさんの勇気にもつながったし、うららのパワーになったんだと思う

やはり「好き」はいろんなものや人と出会わせてくれる

 

 

コミティアから逃げたうららが「悔しかった」と言ったのにはどんな悔しさがあったのだろうと考えている

その場から逃げたことなのか?

最後までやりとげられなかったことなのか・・・?

それでも帰ったあとの雪さんの言葉はとても強かったし、優しかったし、大きかった

うららにとってあの漫画を描いて、売るというのはどんな経験になったのだろう

 

雪さんの言葉と言えば、一番私が印象に残っているのはサイン会で

「この漫画のおかげで私たちお友達になれたんです。描いてくださってありがとうございました。」

って言葉なんですけど。

本当に好きなものに対して、これにつきるなってとても思うんです。

私はいままでにたくさんのものを好きになって、たくさんの素敵なお友達と知り合うことが出来た。

多分普通に生活していたら、絶対に知り合うことがないだろうなって。

場所も、年齢も、性別もなにも関係ない。

 

最初に書いたあの頃私が好きだった場所は7年前になくなってしまった

どうしたってそこで繋がっている関係というものは前と同じとはいかないけど

それでも今でも連絡を取ったり、たまに会ったり

なによりも会ったときにあの頃と同じようにすぐに戻れるんだから

やっぱり私にとって「好き」は人生を素敵なものに変えてくれるものだのだと思う

うららは雪さんと出会って、きっとかけがえのない時間も存在もみつけられたんじゃいのかな。

私はうららでもないし、想像しか出来ないけど。

 

好きなものができるっていいな

好きなものを通して人と出会うっていいな

好きなものに出会って、人と出会って、私も人生を素敵なものに変えていきたいなと思った。

 

 

でも何よりもあの数年間のことを一番に思い出して

甘酸っぱい気持ちになったな~~~~~!

楽しかったし、一生懸命に好きを追っていた日々は多分離れたとしても一生の私の宝物らしい。

私の好きは、今だろうと、昔だろうと、ずっと大事な宝物。

うららの漫画が机の下の段ボールから出てくることはないかもしれないけど

それでもきっとBLも雪さんとすごした時間も一生の宝物だろう。