青春のつづき

チョロオタの独り言

大事な呪いの言葉

「箱推し」とは体がいい言葉だ

でもわたしのなかでは揺るぎない強い言葉で思いだった

きっとだれか担当というような人がいたかもしれないが「箱推し」という場所に

逃げ場所を見つけたのか…まあ学校という小さな世界で生きていたわたしの選択

だったのかもしれない(気を悪くしたらすみませんね…)

だけど知れば知るほど、グループでいる彼らのことが大好きになっていた

もはや最初の頃の自分の気持ちなんて忘れるくらいわたしは本当に「箱推し」だった

そして、担当って言葉が重すぎて、それだけの気持ちを担える気がしないというのも本当だった

もちろんわたしのJUKE BOX以降のなにも怖いものがなくなった後はたしかに少し応援の仕方も変わった

これが多分「担当」と「推し」の違いなのかもしれない

だけどきっとこの先も堂々とわたしは関ジャニ∞の中の誰が担当ということはないんだろうなと思う

もちろんわたしの応援の仕方を見る人によっては、「それが担当だろ」って思うかもだけど

どちらかと言えば「グループ担当」でその中に推しがいる、それが一番近い表現な気がする

 

一昨年の夏、去年の秋と色々なことを目の当たりにして、わたしの中の色々なものが崩れ始めた

わかって欲しいのは、誰が悪い、なにが良くなかったとかじゃなくてきっかけに過ぎない

一昨年と去年でなにが違うのか、もちろん発表の仕方、別れるまでの流れ、もちろんどっちがいいということじゃない

一昨年の出来事はわたしの中で一瞬たりともこの先逃したくないという執着に近いものになった

去年の出来事はわたしの中で一体箱推しとは誰を応援していくことなのだろうという根本に向き合うきっかけになった

箱推しであるという今までの自分の一番の信念が揺らいだ、わたしはだれを応援してるのだろう?

 

もちろんいつまでだって、8人全員の幸せを、これからの道を応援していたい

わたしが箱推しになったのは7人の関ジャニ∞になってからだから、そこからのことを考えるけど

グループというひとつの応援先から3つの応援先に変わった、ただそれだけだ、きっとただそれだけ

グループといったって7人バラバラの人間がいたわけで、全員を応援していた、つもりだったし、今でもそう思ってる

だけどなにかが揺いだのだ、自分の中でやっぱりグループが、大きかったのだ

みんなが楽しそうにしていたのが本当に本当に好きだった

だからこそ、わたしは箱推しになったんだと思う

 

正直十五祭が終わった直後はあまりにも走り続けるグループが心配になって

過去に浸ってるのが自分にとっては一番の逃げ道だった

繰り返しDVDをみて、とかしても悲しいとかいう気持ちはなかった

それが日が経って、それぞれがスタートしだして、全てをテレビ、ライブ、映像でいろんなものを通して目にして

徐々に、その自分で決めたみんなを応援する、箱推しという言葉に締め付けられた

すべてを同じ熱量で応援し続けられないわたしは一体なんだろう、箱推しなんて嘘じゃないか

それだけが頭をぐるぐるまわり続けた

 

多分それは誰が抜けるとかじゃなくて、タイミングだっただけだと思う

わたしがなにも気にせずに好きなことを好きだと言えるようになって

行きたいところに行けて、会いたい人に会うことができて

じゃあわたしはなにをどうするの?という優先順位をたてられなくなったんだと思う

ずっと考え続けた、行き着いた先は「考えたってきっとこたえはでない、でも今の自分が事実」ということ

 

 

まあこのブログの落ちは特にないわけでここでわたしが結局のところなにをどうするかって

書いたところで誰もいい気はしないのだろうと思うし、一番言いたかったのは

自分で自分を締め付けて、好きなものを見失いたくないなって思ったわけ

 

色々なものに興味が出て、

だけど箱推しという言葉に縛られて、全てを同じ熱量で応援できないというところから逃げて

結論全てから逃げ続けるのだろうかと思った

たぶん執着している、好きということに、何かに執着していないと好きを表せないことから卒業したい

すごいな、かっこいいな、応援したいな

その気持ちだけで、自分が好きなものに少しずつ差がでても許して欲しい、し、許せるようになりたい

好きや応援することが、「それだけ」の世界にいるべきなんて誰が言ったのだろう

まあ、だれも言ってないけど

 

 

いっぱい魅力的なアイドルやバンドや舞台がある

最近のわたしはSexyZoneが気になってしょうがない、転がるのはあっという間、もはやヲタクは能力なの?

ただここでまた素直に言えないのは、この自分の頭が混乱中にはまったせいでただ逃げただけなのかもと思って

なんか全てに申し訳ない気持ちになってくるのだ、アホみたい、まったくもってアホ

 

なににおいても、今自分が応援したいものの、貴重なこの一瞬を無駄なことを考えて

逃していくことだと思う、それはきっと一昨年のあの時一生はないのだと学んだのだから

絶対に後悔しないでほしい、頼むよわたし