青春のつづき

チョロオタの独り言

ふつうに憧れるふつうの私

ツイッターでここ数日つぶやいているけど、上司とご飯にいった。

久しぶりだなと思ったけど、見返して見たら、1年半ぶりくらい?

見事なまでにぐちゃぐちゃになって帰ってきて、2日間頭が停止している。

自立しないといけないんですって10回くらい言った気がするのに

速攻で先輩に会ってくださいと連絡を取ってしまった。

自立をしなかった私と異動して大変なのは先輩なのに連絡してしまったことマイナスポイント

だけど、自分でちゃんと選択をして連絡を二人にしたことはプラスポイント

 

私は基本的にいつもうじうじ同じことを悩んでいる。

内容は色々だけど、ネガティブだよねとよく言われるけど

多分知り合いの中でもその度合いはみんな違うと思う。

それは自分自身が調整している部分だと思う。

きっとどこかのコミュニティではネガティブの「ネ」の字もないかもしれない。

もちろん無意識的にです。演じるなんてそれこそ器用なことはできません。

 

Tumblrのころはよく殴り書きをしていたけど、この一年ほどはあまり書かなくなった。

きっと気づかぬうちに私の気持ちはどこか違う方にむいてしまっていたのだろうか。

悩み続けることが一種、私の仕事への向き合い方だった。

悩んでいたらそのぶんまたなにか変わるかもしれないと思っていた。

だけど、どこかで私は放棄していたのか。慣れたから考えなくてもできることがふえた。

プライベートと仕事を分けるのは大事、体良く言えばそういうことだと思う。

つまり、向いている方向が違う気がした。

普段は見ないふりをしているけど、ふとした瞬間にそれが私に襲ってくる。

いてもたってもいられない、どうしようもない気持ちになるの。

 

 

同じ職場じゃなくなってから、久しぶりに会いたいと思って連絡をして会うわけだけど

毎回結局ぐるぐる何時間も同じ話をループしてそれを聞いてもらい続けて

そんなつもりで会ったわけじゃないのに、私困ってたんだなとか悩んでたんだと気づく。

でもそれをきっと私は望んでいる。だからいつも会いに行くのだ。

だから、私は人と話をし続けるのだと思う。

変わらない。気づいて欲しい、わかってほしいという私の構ってちゃん。

まだ子供なのだと言われた。子供をやり足りないと言われた。

私が、私が、という私の頭の中は子供の私でいつまでたっても大人になろうとしない。

いつまで子供をしていればいいのだろうと思う。

 

あの日私は多分1週間分くらいの「普通」と「みんな」という言葉を使った。

でも、だけど、みんなは、ふつうは、って。

ずっと私は「個性」に憧れるふりをして、「普通」や「みんな」に囚われている。

みんなってだれ?普通ってなに?ぐうの音もでない。

だけどいつになっても、自分の気持ちを話すほど「普通」と「みんな」が溢れてくる。

 

 

なにかが違うと何回も私は言った。

私はずっとのの字を書き続ける、安定しない、それは変わらないのに

なにかが違う。耐えられてそんな自分が心のどこかでは好きなんだよな、アホだなと思ってた

けど、だんだん耐えられなくなっている。

この不安定さはあのころとなにかが違うんです、と言っていた。

その言葉が出るまでに3時間以上がたっていた。

とにかく疲れたのだ。抜け出せないループに。

昔からループの中に生きているのに、少しずつループごとすすんでいたはずが

本当に抜け出せないループに入ってしまっていて、迷子になり疲れたのだ。

 

言い訳もずっと言い続けた。

こんな私じゃダメなのはわかっている、だけどどうにもならない。

こうしているとすぐに人に追い抜かされてしまう、なのになにもできない。

できないのではなくて、私がやらない選択をしているのはわかっている。

あのとき勉強してないとつまらなくなると言われたとおりになってしまった、と。

 

慣れてしまったんだよと言われた、がっかりした。

がっかりさせたんだろうと、自分にがっかりした。

だけど、どっちにも行けないんだね、辛そうにみえると言われて

その瞬間、辛いんだわたしと気づいた。

なんだろ、辛いの種類が違う。ニュアンスでしかないけど。

多分私は理想像に近づけないだけでなく、なりたくない姿に近づいていると思っている。

 

 

私の自己否定はいつも誰かにそれを否定してもらうためのものなんだ。

そんなことはとっくにわかってる。

あとになれば後悔もするけど、少し糸がフッと少しほぐれた気がした。

ほぐれたせいで、気持ちは不安定極まりなく、ぐちゃぐちゃなわけですが。

へんに凝り固まってしまうくらいならきっとそれでいい。これでいい。

 

前回あった時のTumblr

勘違いして仕事を辞めてしまいそう、と言われたと書いていた。

そうならないためにも、少しどうしたらいいのか吐き出して心に空間を作った分

考えないとなと思うわけです。

頑張らなくていいよ、というのは適度にねってこと。

適度に頑張れる人間になりたい。目的がないとできない、だからまずは目的を。

ちゃんともう一度目的を考えるべき時、4年目になってそういう時期なんだろう。

 

わたしの憧れた二人はいつもどんな私でも笑って受け止めてくれた。

それがたとえ大したことでなくても、いつも「私にとっての大変なこと」として

考えてくれている。

一回味わってしまた蜜は忘れられないけど、

それがなくなってもその蜜に育てられたことを胸に進んでいかないといけない。

 

なにが言いたいのかわからないけど

私はすぐに忘れてしまって、気持ちだけ取り残されていくから。

自分が思い返すための文章として残したかった。

 

 

ぐしゃぐしゃにした気持ちを来週まとめに先輩と会ってくる。

まだまだ私がつかまり立ちから歩き出すまでには時間がかかりそうだ。